今日のこの1品。
ハンドメイドのコースターです。
パッチワークでコースターを作りました。
母が長年パッチワークを嗜んでいまして、その母から習いました。
まず4つの柄の布を同じ大きさに細長く切り、それを4枚縫い合わせて表布を作ります。
それと裏布の間に綿状のシート(キルト)を挟みます。
表布、キルト、裏布を縫い合わせます。
外周にぐるりと細布を縫い付けて出来上がりです。
作ったのがコースターなので物自体は小さいものの、一連のパッチワークをやって見て思ったのは、これはもしかして狂気の沙汰と紙一重なのではないかということです。
パッチワークを悪く言うつもりは毛頭無いのですが、それくらい時間をかけて地道に作られているものだということに衝撃を受けました。
と言いますか、時代が進むにつれてどんどん物事がスピーディになっているので、100年以上前に始まっていたパッチワークが現代の時間の進み方と逆行しているのと、当時は作るしかなかったものが今はお金を出せばすぐに買える、という2点…そのあたりにモヤッとした感じを覚えます。
単純に、コースター欲しかったら買えばいいじゃん100均で買えるよ?、という感覚と、手作りするならミシンでダダダーッと縫えばすぐ出来るじゃん10分で出来るよ?、という感覚、なんなら20㎝四方くらいのサイズのフェルトを買ってきて2回はさみを入れれば4枚のコースターになりますけど?、みたいなのを、違う違うそうじゃない、そうじゃないのよとウフフと手で振り払いながら一針一針縫う真っすぐさと、出来上がった作品のパッチワーク然とした幸せな家庭の良き母が作りました的な作風というのがちょっと狂気をはらんでいてコワいのかもっていう。
わたしはチマチマした作業が好きで、パッチワークの一針ずつしか進まないけど一歩一歩着実に進んでいる非効率なスピードも好きなので、時短とか、ながら○○とかの効率化に負けるな!と陰ながら応援したい気分です。
陰ながらというのがミソで、表舞台でパッチワーク大好きと公言は出来ない感じの距離感。
考えてみると自分と母との距離感と近いものがあるやもしれん。
愛情はありますけど、面と向かって「ありがとう、大好きだよ」とか、ぜってぇぇぇぇ言えねぇ。
でもいつか言わないと後悔するんだろーか。
いつやるの?今でしょ!というフレーズ好きなんですけど、すみません林先生、少なくとも今じゃねぇす、とだましだまし時が過ぎていっておりますが、未来の自分に後悔してたらごめんと謝っておこう。
手を掛けるものはやはり時間がかかるので、ね。
手作りしたものすべてに愛着があるかと言ったらNOなものもあるし、100均で買おうが50円で買おうが値段に関わらず愛着のあるものはありますとも、という公平なジャッジのもと、このコースターには愛着があります、ええ、はい。
コースターの裏側。
こちらを表にすることもアリっちゃアリな気がします。
表からパッと見るとステッチが入っていないように見えますが、裏から見ると細かいステッチがいっぱい入っておるけれどもだな、それも味。
もともとはパッチワークで、必要最低限のものが入るサイズのバッグを作りたくて、それを作った後に布が余ったのでコースターを作ったという流れでした。
作り始めたら楽しくなっちゃって布を使い切るまで勢い余って9枚もコースターを作ってしまいました。
9枚のうちの1枚は表布がさらに細かい12枚接ぎの特別仕様となっております。
つーか、そもそも家に9人も客人が来ること無いですけどね。
山田君、コースター9枚持ってって!なこの1品。
今日もこのコに首ったけ。
次回のこの1品は「キンドル」です。
また次回。